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                         短編小説 「彦兵衛と大津波」

 

彦兵衛は大きい長い揺れに驚いた。天井が崩れるのではと思い外へ飛び出した。庭先に出たがすぐにしゃがみこんでしまった。立つことができなかった。長い揺れは3分くらいも続いただろうか。強弱を繰り返しながら揺れ続けた。ようやく揺れが収まったが、茫然として、しばらくは立てなかった。気を取り直して彦兵衛は立ち上がった。「ただの地震じゃない!きっと津波が来るに違いない!」彼は直感的にそう思った。家の中を覗くと物が倒れたり、箪笥が倒れたりしていて、足の踏み用もない状況だった。

彦兵衛の家は東北の三陸海岸に面した港町のはずれに住んでいた。海のある港から約半里(約2キロ)以上も離れていた。家のすぐ裏手は小高い山になっていて、ちょうど山際に建っていた。当時としては珍しい2階造りであった。両親はすでに亡くなっており、彼は一人暮らしで、たまに漁に出てなんとか生計をたてていた。彦兵衛がまだ幼かったころ、当時としては90歳近かった曾祖父が当時まだ生きており、昔話をよく聞かされていた。

「津波がやってきて大勢の人たちが亡くなったことや家が壊されて流されたこと」を聞いたことがあった。また「津波はあの青い石の所までは来たが、それより上は越えなかった」ことも伝え聞いていた。ただ曾祖父はこうも言っていた「大昔はよくわかんねえけんどもな。あそこの林の少し小高い所の中にうんと古い「黒い石」があんだけど、字は雨風で削れて読めねえんけど。おらが子供だったころにおらのひい爺さんが、「津波」、「ここから下さ家建てるな」て読めたんだと。」そんな話を彦兵衛は聞かされていた。青い石は、ちょうど港と彦兵衛の家の間の道の海寄りに近い所にあった。港から約100mくらい行ったところにあった。「黒い石」は彦兵衛の家のすぐ近くの林の中にあり、港と彦兵衛の家の道沿いから少し脇に入った小高い林の中であった。港からは2キロ近くも離れている。

大地震から気を取り直した彦兵衛は、「ひい爺さんの昔話を思い出した。そしてつぶやいた。「津波くっかもしれねえ」。彦兵衛は近所の名主さんの所に行ってどう行動したらいいのか聞くことにした。村では大きな被害が出るような洪水や地震、津波などが起きた時には、地区の名主さんや責任のある人に指図を仰ぐようなお達しが前からあったのである。

彦兵衛は「おらは身分が低いのであまり立派な格好で出ていくことは遠慮しよう。」そう思って、下は長靴を履き、上は寒かったのでどてらを着て出かけて行った。

名主さん家のところに到着するとすでに十人余りの老若男女がすでに急いで集合していた。



家から着の身着のまま、出かけて来ており、履物はわらじや、下駄、草履ばきであり、長靴を最初から履いていたのは、彦兵衛一人であった。ようやくやや年をとった名主が現れた。名主は集まったみんなの姿や身なりをじっと眺めてから次のようにおもむろに言った。

「さっきの大地震ではきっと津波がやって来るに違えねえ。それでわしたちはみんなで山さしばらく逃げねばならねえ。それでも履物が山さ逃げんのにふさわしくねえようだ。

彦兵衛のように、長靴に取り換えに行くことにするべ。」みんなにそう言い終えると名主さんは屋敷に戻った。集まっていた約十人の男女もそれぞれ納得した顔で、近くの自分の家に戻って行った。彦兵衛は最初から長靴を履いていたのでそのまま待つことになり、一人になった。それから1〜2分後、彦兵衛は遠くの海に近い方から「津波来た!」という声をかすかに聞いた。彼は驚いて港に向かう道の方をじっと目を凝らして見つめた。

大きな波が高い水柱を吹き上げながら、こちらに向かって突進してくるのが見えた。「本当に津波が来てしまった」彼は叫んだ。やがてその津波の姿は本当のものすごさを見せつけていった。黒く、どす黒い、茶色く濁った大波であった。その中に混じって小舟や大きな船を上に載せ、壊れた家の残骸や大きな木などを巻きこみながらものすごい勢いで押し迫って来た。(今でいうと時速100kmくらいのような速さの印象を受けた。)黒い小さな人影が大波から逃げるように走って行くのが見えた。小さな丘にたどり着いて逃げきれそうな人たちもいたが、逃げきれないで黒い大波にのまれて見えなくなる人たちも見えた。

彦兵衛は自分の方に押し迫って来る大津波を見て、自分もあぶないと思いすぐに、後ろの小高い裏山に全速力で走りだした。





息を切らしながら坂を登ったが、波はすぐに彦兵衛の足元に追いついた。自分も押し流されると思った。しかしかろうじて裏山に登り切って命を得ることができた。「助かった」と思った。彦兵衛は下をふりかえった。大津波は濁流のように家々をつぶしながら、上流に向かって流れて行った。名主さんの家も、大きな屋根だけになって流れていった。近所の家々も見えなくなっていた。自分の家の方を見るとかろうじて2階の部分だけが見えた。靴を交換に行った名主さんと他の約十人の男女はいくら待っても裏山に登って来ることはなかった。しばらくしてから水が引いた。翌日、彦兵衛は、大津波で削られた道路沿いのわきの山肌にあの「黒い石」がむき出しになっているのを見た。大津波があの昔話の「黒い石」のあたりまで来ていたのを彼は知った。



 

201188日 笠原修平 記載
2013年1月30日 追加記載(挿絵) なお絵は松島町の千田陽司さんによって描かれ、承諾を得て掲載させていただております。

 

お断り;上記の内容には一部聞き書きの真実の内容も含まれているかもしれませんが、あくまでもフィクションの小説であります。なお「稲村の火」の小説と同じように2011311日の東北太平洋沖地震のような大津波の防災に役立つことを希望します。